トライアスリートの子育て日記

写真と料理と子供が好きなへっぽこトライアスリートの日記です、当面の目標はロングの代表内定

昭和という時代に僕らを抱えて走った、そんなあなたの生きがい

タイトル、GLAYの歌詞の一節らしいです、良い詩ですね。これをBGMにブログでも書きますよ。

僕が会社で密かに一番尊敬していた別チームのマネージャーが会社を去るらしいです。遠い昔、僕が別の会社にいた頃に、大きいPJでご一緒させていただいた方なんですけど、仕事における聡明さと天衣無縫な人柄に強烈に憧れを抱いた事を今でも思い出せます。

縁あって、今は同じ会社で働いてるんですが、僕が転職してきた頃にはもう天上の人になっていて、仕事でご一緒する機会には恵まれませんでした。それでも、入社日にあの日と変わらない態度で僕に入社の祝言をくれた人柄の良さに「あの頃から何も変わってないんだなぁ」と感動したことも覚えています。そして、こういう優秀な方が会社を見限るってことは、弊社はつまりそういう状態なのでしょう。

円も145円を超えるだろうし、会社も斜陽だし、身の回りはあんまり景気のいい話はありません。普通に普通の老後を迎えることの難しさってのを感じざる得ない時代です。

結婚し、家を買い、子供を授かり、貯金して、子供を社会に送り出し、定年まで勤め上げ、孫の顔を見て90そこそこで死ぬ。運が良いとかそういうレベルじゃない、これは奇跡に近い所業だなという事を、より強く感じるこの頃です。

天国にいる大好きだったお祖父ちゃん・お祖母ちゃん、早くして逝去した父、今、ほぼ全てをやり終えて、人生を謳歌している母。「今日だけ頑張る」を何十年積み上げてきたんですか、あなたたち。本当に凄い。どれだけの「やりたい今」を我慢して、「子供や孫の未来」のために人生使ってくれんですか。

社会に出たばかりの頃、親の生きがいってなんだったんだろう。と考えた時期があります(今思うと生意気な話ですね)。僕と妹の、子供二人を抱えて、毎日ぼくらの世話をして、遊びに付き合い、大きくなれば部活の準備や試合の送り迎えをして、自分の時間なんて殆ど持てなかったであろう両親。お金もかかったことでしょう。

うちの両親は早婚で出産も早く「もっと遊びたかったんじゃないかな」とか「もっと自分の時間を持ちたかったんじゃないかな」と考えた時期がありました。母が出てった後の高校1年間(僕はその後も比較的どちらとも仲良かったのですが)、慣れない早起きをして、慣れないお弁当を作ってくれた父親には今でも感謝の念に堪えません。

そんな僕も、年齢や時代こそ違えど、あの日の両親と同じ状況になったわけですが、今なら分かります。両親の生きがいは「僕と妹」だったんだなと。

自分じゃない誰かの人生に責任を負う、これは本当に辛く苦しく大変な事ではありますが、同時にこれほどやり甲斐のあることもそうそうないということに気づけたのは、僕も結婚し、親になったからなんでしょう。

「自分が死んだらどうするんだろう、子どもたち泣いちゃうかな…」

「ちゃんと大学卒業まで出来るかな…」

「妻と子供はヒモジイ思いしないかな…」

「妻には1週間位僕の死を悼んだ後、後ろめたさ全開で次の人生を歩んでほしいな…」

と、自分の中にこんなに人を深く思う感情があったんだなと気づかせてくれたのも妻と我が子です。家族っていうのは頭が理解している以上に、男を強く、大きくしてくれるもんなんです。

子を育てて、やりきれないことの不甲斐なさとか、情けなさに一人で泣く事って実は少なくないんですが、子供の可愛い寝顔を見ると「また明日から頑張らんとな」と自分を鼓舞できるんですよね。父が逝去したときも、自身が思ったよりも、ずっと早く再起できたのは、まだ幼い長女が居たからです。体を健康体に戻す半年間の生活に、ずっと前向きな気持ちで取り組めたのも、家族の存在が非常に大きいです。

そして、今の一番の願いは、子供たちが自分らしく生きていってくれることに他なりません。子供が自分で見つけた夢に挑戦して、叶っても叶わなくても、その結果をずっと傍で見届て、一緒に喜んだり悲しんだりするのが、今の一番の夢です。サブスリーも富士ヒルもアイアンマンもそれに比べりゃ些細な事です。

尊敬するマネージャーの退職をきっかけに、「大切な人の生きがい」であれるよう、「自身の生きがい」を抱えて、そして「子どもたちの生きがい」が誕生する日も楽しみに、明日からも精一杯生きていきたいと思った今日でした。