トライアスリートの子育て日記

写真と料理と子供が好きなへっぽこトライアスリートの日記です、当面の目標はロングの代表内定

潮風の香りは銀色の雨の匂い

久しぶりの更新、いつもは夜練習の時間だけど、今日はブログの更新をしようと思う。

僕の好きなエッセイに「雨の降る日曜は幸せについて考えよう」というエッセイがある。今ではすっかり有名になった橘玲さんが、まだ知る人ぞ知る作家だったころに出版した本だ。特に後書きがとても好きで、人生の美しさを「銀色の雨の匂い」と象徴した一文が印象的だった。
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この本との出会いは遡れば物凄く昔のことになるんだけど、まだ僕が高卒で派遣会社で働いていた頃、派遣先の企業で知り合った先輩(仮称Mさん)が教えてくれたのが出会いのきっかけだ。

その頃の僕は、大きな夢や希望も、金も知識も、努力をする根性も、自分にはこれだって打ち込める何かなんてものもなくて、ネットで齧った知識をひけらかす頭でっかちな人間だったように思う。

そんな日々の中で生きてると将来への漠然とした不安みたいなものはあって悶々と過ごしていた。

元々僕はMさんとは反りが合わなくて結構職場でバチバチしていた。けれど聡明な人であるということは認めていた。その聡明さが鼻についたのか、自分にはない何かを持ってることに嫉妬していたのか、そしてそれが小競り合いの原因だったのかは今となっては詳しく覚えていない。

Mさんは僕より年齢が20個ほど上で、大学に通いながら仕事をしているという話だった。昼休憩中もレポートを仕上げたり、将来のために勉強していたりと、とても努力家な人だった。

そこで僕はMさんに「僕も今から努力すれば公認会計士になれますかね?」みたいな質問をした記憶がある(弁護士だったかもしれないし、はたまた税理士だったかもしれない)。

そしたら「何馬鹿なこと言ってんだよ、まだ何にでもなれる年だよ、俺みたいなおっさんだって未来に向かって生きてんだよ」と回答が返ってきた。

「才能とか必要じゃないんですか」と食い下がったら「確かに最後に勝負を決するのは才能だけど、努力をしないやつは先ずそこまで辿り着かない」みたいなことを言われた気がする。

その時僕は「この人の言ってることを信じてやってみよう、どうせ今より悪くはならない」と覚悟を決めた。その日からMさんととっても仲良くなった。

Mさんは社会人としての所作から勉強の仕方、その他にもいろいろなことを教えてくれた、けれどいつも答えは教えてくれなかった。「ノウハウは教えてやるから答えには自分でたどり着け」ってことを暗に示していたのは、当時の僕でも流石にわかった。そして答えにたどり着いたときは、きちんとそれが答えだってことは教えてくれた。

僕もMさんにならって働きながら大学に通いはじめた、そして4年で卒業した。4年間でいくつかの会計の資格を取得し、英語がある程度話せるようになった。この4年間は今の僕を形成する土台になっていて、様々なものを獲得したように思う。努力を楽しむメンタリティー・目的地に向かって我武者羅に走り切る狂気・達成の先にある充実感と自己肯定感。今振り返るとこの日々は、僕の人生の黄金の時代だったのだろう。

派遣チームが解散しMさんと職場が変わってからも交流は続いた。人生で困ったことがあったらまずMさんに相談したし、可能な限り1年に1度は会食をしてお互いを鼓舞した。

あれから途方もなく長い時間が経った、Mさんは今独立して企業向けのコンサルティングをやっている。僕は結局会計士にはなれなくてサラリーマンをしている。大きな変化としては、妻子を持つ身となり、先月に第二子が生まれ二児の父になった。

出産は総力戦で、家族一丸となって頑張った。妻はお産、娘は初めての一人での祖父母の家へのお泊り、僕は…なんだろう…立ち会ったけどおどおどしてただけかな…。

とっても元気な男の子、名前はMさんの名前の読みを頂くことにした。漢字は妻が事前に決めていた。病院からの帰り道、そのことをMさんに電話で報告すると「隠居しようと思ってたけど、そんな事言われたら、もう1回くらい人生頑張らんとなぁ」とMさんらしい反応が返ってきた。

それから会議と称して5時間ほど電話で話した、今回の出産のこと・仕事のこと・時事ネタ・好きなAV女優、他愛も無い話だ。夜も白みかけてきたのでひとまず電話を切り、僕は日課のランニングに行くことにした。だいたい20キロくらい?いつものコースだ。

いつもの海沿いの公園で海に目をやると、とっても綺麗な朝焼けが広がっていた。

さっと吹いた潮風の香りから銀色の雨の匂いがした。

きっと僕は今も黄金の時代を生きている。